【コミック1位】『俎上の鯉は二度跳ねる』水城せとな(フラワーコミックスアルファ)【やばい】

俎上の鯉は二度跳ねる (フラワーコミックスアルファ)俎上の鯉は二度跳ねる (フラワーコミックスアルファ)

小学館 2009-05-08
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「BL」の定義はなんだろう。「BL」とゲイコミックや最近流行りの「男の娘」ものを分けるラインはどこにあるだろう。「男同士の恋愛も扱ったレディコミ」と分けるものは何だろう。きっとそれは、最終的には「文法」ということになるのだろうと思う。個々人が持つ、「BL」としての文法。だから少なくとも自分にとっては、この作品は「レディコミの文法で描かれた男性同士の恋愛作品」だ。
自分を愛してくれる女たちの間を漂流しながら、何故か粘着質のゲイ今ヶ瀬に捕まってしまった恭一。妻と離婚し、今ヶ瀬との微妙な関係を続けながらも恭一は迷いを持ち続けている。
何て後ろ向きな恋愛だろうと思う。二人は背中合わせに立っている。今ヶ瀬は大学時代の恭一への恋の亡霊に囚われているばかりで、現在の恭一を信じようとはしないし、恭一は誠実に振舞うばかりで何一つ今ヶ瀬に奪わせはしない。諦観、後悔、懺悔、二人の関係には後ろ向きな言葉しか浮かばない。むしろ二人の別れのシーンや恭一の部下・たまきとの関係の描写の方が、救いと希望に満ちている。それでも今ヶ瀬を見捨てられないという恭一の陥った境地を、本当に恋と呼んでいいのか、少し悩む。
しかし、これほどまでにドロドロした状況を描きながら、殆ど生々しさが感じられないのはこの作者の強みでもあり弱みでもあると思う。ガラス越しのような乾いたリアルはあるが、生々しさは無い。妙に理屈っぽく、行為の最中でさえどこか冷めている。だからこそ、恭一は妻ともたまきとも関係できるのでもあるが、そのかわり、恋の熱量といったものは感じられない。
BLはBLであるだけで恋愛ものであることを担保されるという逆説的状況で、周辺描写に焦点が行きがちな傾向がある中、他の要素を殆ど持たず恭一という一人の人間の恋愛観だけに的を絞ったこの作品が注目されたということは興味深い。実際のところ、文法なんて関係なくて、BLであればどんなジャンルであってもよく、どんなジャンルの作品でもBL要素があれば楽しんでしまうという貪欲な読者の興味こそが、BLというジャンルを形作っているのかもしれない。


やっぱりBLというにはどこか違うと思うんですよねー。今回のレビューではそれを「文法」としましたが。なんか違うんだよな…。あと、恋愛観とか理屈的な葛藤とかに走っちゃって生の「感情」が感じられないのが個人的にはマイナス。恭一、セックスしながらもの考えすぎだろ(苦笑) そういう点でも自己完結してるやつらなのかなー、と思います。でも二人とも自己完結してたら恋愛になってなくね? 僕はもっと情に走った恋愛が好きだな。「恋」を感じさせる瞬間が欲しいんだ。井上佐藤の「もの欲しそうな目」とかヤマシタトモコの「やべ、どうしよ」的な顔とか。絵の持つパワーが効いたのが好き。